今回は補助金を活用し空調機の更新工事をさせていただいた呉服おぎはら(http://gofuku-ogihara.jp/)の荻原葉子様にお話を伺いました。



Q.会社としての歴史や伝統についてお聞かせください。

創業は父の代からです。父は満州の高島屋に勤務していましたが戦争が始まって現地招集されました。前線に送られシベリアに抑留、昭和23年に日本の舞鶴に戻ってきて宇都宮で憲兵をしていた親類を頼って宇都宮で創業したそうです。
戦後復興が進まず食糧事情が良くなかった時代で、着物を預かって農家へ持って行き米や野菜などの食料と交換してもらうという仕事から始まったそうです。
やがて高度成長期に入ると「物があれば売れる」時代が来ました。東京が発展してからは東京の奥座敷と言われていた鬼怒川温泉や日光などの観光地にいち早く目を付け、一般向けではなく女将や芸者向けの着物に特化した事業を開始しました。父が戦前に勤めていた高島屋で染色や室内インテリアなどの美術関係を担当していたことも大きかったのだと思います。
父は兄弟と一緒に作品作りをしていました。顧客の要望や相談を受けてTPOに合わせたオートクチュールの着物を制作し、それがとても好評を博したそうです。
しかし高齢で仕事ができなくなりいとこが跡を引き継ごうとしたのですが、同じ図案でも描く人によって出来上がりの雰囲気は全く異なります。
私は誂えの着物をやめて当時勢いがあった問屋が扱う商品に着目しました。
辻村寿三郎氏や染色協会理事長の田畑喜八氏、歌舞伎座の緞帳を手掛けたこともある大垣氏のような先生方ともお付き合いができるようになり作品を扱わせていただけるようになりました。
そして父が逝去してからは私が代表に就任しました。私の息子には中古品を扱う店舗を任せています。
うちは昭和25年創業なので、今年で62期目に入ります。



Q.荻原様はどのような経緯で関わり始めたのですか?

私が大学を卒業する頃に父が入院して、当時はほとんどが売掛金だったので自分の代わりに集金に行ってほしいと頼まれたのです。
そのうちにお客様に顔を覚えていただいて、声をかけていただく事も増えていきました。
その頃はどこへ行っても必ず茶道や日舞は習っているのかと聞かれて、着物の世界では茶道と日舞が密接な関係にあると気付いて茶道を習い始めました。
そして、毎日すてきな着物を着せていただき習い事や接客に出かけました。自分がモデルとなり、関心がある方には店に来ていただいてお客様を増やしていきました。
その頃は観光地人気も下火になり、コンパニオンという職業が登場してからは芸者さんも減ってしまいました。気っ風が良くて格好良くて憧れたものですが、時代の流れには勝てずすてきなお姉さん方はいなくなってしまいました。私は良いタイミングで仕事をさせていただいたのだと思います。



Q.どこの大学を卒業されたのですか?

昭和女子大学です。4年制の家政科があり、その中の美学科に在籍していました。染色や裁縫、洋服の仕立て等の生活一切に関わる内容を学びました。建物の設計もやりましたね。

Q.そこで学んだ事は今の仕事に活きていると思いますか?

そうですね。西洋の美術と日本美術の違いを学んだ事は大きかったと思います。
環境や生活様式、価値観も大きく異なっていて、ものづくりというものはそこから始まっていると良く分かりました。
着物もただ着ればいい、販売すればいいという訳ではなくTPOに合わせたものがあり、状況に合わせた着物を的確にお渡しする事が大切だと感じています。

例えば洋服でもタキシード、ジーンズ、ジャージはそれぞれシーンに合わせて着替えますよね。それは着物でも同じで、昔は着ている着物で身分や個人が特定できるほど細かい決まりがありました。その決まりの中には若者が黒っぽい着物を着てはいけない、というものもあって、私も茶道の稽古中に「もう少し明るくて綺麗な着物は着ないの」とよく言われたものです。
でも時代に合わせて考え方というものは変わってきます。好きな物を着られる時代になってきましたし、着物は日本の文化と共に歩んでいると感じます。

男性の着物にしても、安土桃山時代や戦国時代のような戦でいつ死んでもおかしくない時代には華やかな着物を身にまとう傾奇者と呼ばれる人たちが現れましたし、自己主張のために金粉や蝶の飾りを付けるなど女性よりも華やかでした。
今は平和だからかあまりアピールしない傾向にありますが、文化と着物は密接な関係にあり、その時代を表していると思います。



Qこれから着物はどうなっていくと思いますか。

まさに今が変革期だと思います。
室町時代の婆沙羅(ばさら)や江戸・安土桃山時代の傾奇者のような既成概念を打ち破る人達のように、若い人たちは着物にブーツや帽子を組み合わせたりしていますし、それに対してとやかく言う風潮ではなくなってきています。
茶道の世界は別として、これからは若い人たちが作り上げていくと思いますね。
着物は高価なので、高価なものは今まで通り式服として形を残すかもしれませんが、趣味として着るものは息子が扱う中古品のように自由に楽しんでもらって、段階を経て自身の心情や生活環境に合わせて昔ながらの着物にも興味を持ってもらえたらと思っています。
ただ着物作りはいくつもの工程があり、かつてはそれぞれに最高級の技術を持った職人が多くいましたが作り手の減少などで当時と同じレベルで作品が完結するという事が難しくなってきているのが現状です。
だからこそ今あるものを大切に扱う事が大切だと思いますし、私はそういう着物を集めています。
中には人間国宝に選ばれるような方の着物もあって、多少値段は高価ですが集められるだけ集めて『どうしても欲しい』という方に提供できたらと考えています。



Q.弊社の社員はどんな仕事ぶりでしたか。

とても素晴らしかったです。
この家(店舗兼住宅)を改築する際に大工や庭師のような職人が頻繁に出入りしていて、私の母はその人達が仕事をしやすいように出したままの道具を整えたり掃除をしたりする人だったので私もそうするつもりでいました。
施行が始まる前に店の邪魔なものを全て出して、きっとかなり埃が出るだろうと掃除の準備もしていたのですが施工後は掃除する場所がないくらい綺麗になっていてとても驚きました。

後日社長のご子息に会った際にその話をしたら「それは良かったです。ですがそれは当たり前の事をしたまでですよ」とおっしゃっていて、さすがだなと感心しました。

それから施工前の養生についても天井近くまできっちりされていましたし、重い機械を搬入する際もまずブルーシートを敷いてその上にベニヤ板を隙間なく敷いていた事も強く記憶に残っています。
適当に置くのではなくピシッとしていて、ベニヤ板自体もとても綺麗で、今まで出入りしていた職人の様子を見ていたからなおさらそう感じたのかもしれません。

また、若い社員さんも数人いたましたが礼儀正しかったですし、親方さんみたいな人が若い社員に指導する時に大きな声を出したりしない所も良かったです。
お前そこだめだぞ、とかもうちょっとここはこうしろ、みたいな言い方で、職人って「何やってんだ!」とか「ダメだろう!」っていう大声が結構出たりすると思うんですけどそんな事はなく、若い人たちも親方さんの仕事を見たり邪魔にならないように動いたりしているのが見ていてよく分かりました。

実は私、大工さん達の仕事を見るのが好きなんです。結構じっくり見てしまうんですけれど、田崎設備の皆さんは仕事をきちっとしようという気持ちがとても良く伝わってきましたし、後片付けまで含めて完璧でした。
本当にありがとうございました。

貴重なお話をありがとうございました!



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